当店は、天正3年(1575年)に現在の滋賀県日野町で創業し、領主蒲生氏郷が、豊臣秀吉の命により松阪に移されたことで、松阪城下に移転し、以来430年の間、お菓子を作り続けています。創業時以来の商品「老伴」(おいのとも)は、初代 柳屋市兵衛が書道の硯石として使っていた、古代中国、漢代の瓦を型に使い、粉の生地を焼いたのが始まりと伝えられております。後に松阪の豪商で茶人でもあった三井高敏氏(三井家)により、白楽天の詩集から「老伴」(永遠に付合えるお菓子)と改名されました。
江戸時代には、二軒の江戸棚(店)を持っていたという記録も残っており、地元で今も多くの市民の皆様に親しまれる総合菓子店です。
当店の強みは、江戸時代にお伊勢参りで、また豪商の町として栄えた松阪にて、その歴史にゆかりある数多くの銘菓を取り扱っているということです。安土桃山時代から続くとされる看板銘菓「老伴」を筆頭に、明治天皇ご
成婚の記念に開発されたという「桐葉山(きりのはやま)」、松阪が誇る偉人、本居宣長ゆかりの「鈴最中」と「宣長飴」、小説家梶井基次郎にちなんだレモンケーキ「城のある街」など、お菓子を通じて松阪の歴史を知って頂く事ができます。そして何より「老伴」を長らくご愛顧頂いている多くのお客様がいらっしゃることが、一番の強みだと考えております。
一押し商品の「みつ最中」は、三重県産のはちみつ、波照間産の黒蜜、カナダ産のメープルシロップの三種類の「蜜」と「季節の果実の蜜漬」を合わせ、滑らかに炊き上げたゼリー生地(吉野葛入り)を当社の看板銘菓「老伴」の最中の皮に流した、伝統の中に新しいおいしさを表現した新商品で、四季折々の果物を味わって頂けるよう、各季節限定で販売いたします。「老伴」に馴染みのない若い方にも喜んでいただける商品です。ゼリー生地の上に、クリームやチーズをトッピングして、自分好みの味にして、楽しんで頂けます。ゆず、金柑、イチジクなどの味があります。
17代目当主の子息である相談者は、平成29年度「みえ農商工連携推進ファンド助成金事業」に応募し、三重県産の蜂蜜を使用した若年層向けの「老伴」の開発が採択されました。商品がある程度でき上ってきたので、商標権取得について、開発の支援を受けていた松阪市産業支援センターと三重県よろず支援拠点松阪サテライトへ相談頂いたのがきっかけです。
よろず支援拠点からの紹介で、商標登録出願に関する相談を受けましたが、相談頂いた標章は、識別力がなく商標登録できない可能性があることを説明し、識別力のある標章について助言しました。また、アイデア段階のほかの2つの商品の標章については、J-PlatPat による検索方法を説明し、標章の検討の参考にしていただきました。
相談者は、新商品のパッケージデザインや販売戦略についても悩んでおられましたので、派遣専門家派遣を活用し、パッケージデザインと歴史のある「老伴」を活かしたブランド戦略や、販売における展示方法、SNS を活用した情報発信について助言いたしました。また、今後は、少子化等による長期的な販売減少が見込まれ、老舗としての店構えを維持しつつも、新規顧客の開拓やHPを活用したプロモーション策についてよろず支援拠点と連携し、売上の拡大という経営課題を見据えた支援を行う予定です。
消費者の観点からパッケージデザインを見直すことができ、非常に参考になったとのことです。当初は商標登録の相談でしたが、知財総合支援窓口を利用されたことにより、これまでの信用と伝統を守りながらも、今後のターゲット顧客、製品開発、ブランディング戦略と経営課題への取組についても、窓口の専門家による支援を活用したいとのことです。
知財総合支援窓口では、担当者様が非常に親身になってご相談に乗ってくださったおかげで、経済状況が目まぐるしく移り変わる、混とんとした現代において何とか希望を見出すことができました。明日をも知れぬ経営状態の中で、何をどうすればよいのかわからない状況でしたので、専門家の先生のご助言を無償で頂ける「専門家派遣制度」には精神的にも経済的にも支えて頂きました。新商品のネーミングといった相談から経営課題に言及いただき、経営上の課題として捉え、今後のビジネスモデルを引き続き知財総合支援窓口の支援を受けながら進めていきます。
440年以上続く老舗においても、社会の変化に合わせて変わることが求められていると思います。新商品の開発支援を手始めに、ブランディング、販路拡大など、相談者が必要とする支援を引き続き行いたいと思います。 (門田 則昭)
440年以上続く老舗菓子店の新商品開発支援(375.6 KB)
掲載年月日:2019年6月20日